東京町田の近くで 生まれ、同じ名前の和子ちゃんを失った喪失感は大きい。今日、野辺の送りだった。長い癌との闘いであったでしょうに、和子ちゃんは美しい顔をしていた。5年前に乳癌を患い、最後は脳に転移して、今年の夏からは家の中で車いすの生活だったそうだ。4歳のころから、二人で よく遊んだ。当時は、町田の近郊は、ほとんどが茅葺の家であった。和子ちゃんはの家とは道1本くらい離れたところにあってお互い行き来きするのに最短コース(よその家の庭を通り、玄関から、土間、勝手口を出て、行く)、今では考えられないことだが、戦後はあたり前のこと。子供は近道を知っている。母親同士も戦後の大変な時代を乗り越えてきた人たちで、仲良しであった。よその子も自分の子も同じようにかわいがった。枕を持って、お泊りは常であった。行幸道路に養豚の豚が逃げると大人たちが、追いかけ、2人で、その姿を見ていたり、そんな、幼い時の光景は忘れられなもの。たまに会うと、そんな、話で、笑いあった。いつか、、もっとおばあさんになったら、家族がもういいよと言って聞いてくれなくなっても、2人で、同じ話ばかりしようねと約束したね。まだおばあちゃんにもならないうちに、もう一人の和子ちゃんは逝ってしまった。94歳になられるお母さんは、もうすぐ天国で、会えるからと参列しなかった。いくつになっても逆縁は辛い。今日は晴れているが、寒さが、身に染みた。遠くの大山が、きれいに見えた。
昨日、久しぶりにチキンカレーを作りました、鳥肉、メークイン、玉葱、人参、セロリ、キャベツ、生姜、洋梨(大人の甘味)、ルー3種類。
グリーンサラダ(ブロッコリー、スナックエンドウ、クレソン、寿雀卵ゆで卵)。
セロリの葉の佃煮(自家製)、ピリ辛らっきょう。
器は奈良県の吉岡萬里さん作、鉄彩楕円皿、色絵鉢、その他。
今年も元気に過ごした年末のみよちゃんランチでした。
4歳のころからずーと一緒に遊んでいた竹馬の友がいた。名前は同じ名前の和子。幼稚園も一緒。小学校もずーっと一緒。おままごと、木登りをしたり、毎週土曜日になると、どちらかの家に枕を持ってお泊り。ピアノを習いに行くのも一緒。和子ちゃんは、成績も抜群で、正義感も強く、人望も厚かった。弱いものいじめをしている子がいたら、すごい剣幕で怒りつけ、クラスのボス的存在でもあった。県立高校も神奈川県一の学校に進学し、横浜国大を出て、音楽の教師になった。いつも私の憧れの女性であった。 今日、私の携帯に和子ちゃんの名で鳴った。ここのところ、何年かご無沙汰していた。久しぶりだ。「娘の春子です。今日、母が亡くなりました」。 しばらく、何のことか分からなかった。「乳癌を患い、再発して全身にまわり、脳にきて、今日11時に亡くなりました」。まだまだ平均寿命から行けば25年以上は、生きられるというのに、、、、、、4歳からの一緒に遊んだ日々のことが、走馬灯のように甦る。いつも私の憧れだった素晴らしき友。あまりにも早い死。人生とは酷なもの。今、自分が元気で生きているいることが不思議に思われる。明日のことは誰にも分からない。会者定離。別れは辛い。尊敬する父、2歳にもならない長男、師、鬼籍に行ってしまった。生きている限りこれからもそうだろう。いつか分からないが、自分にもその日が必ず来る。だからこそ、悔いのないように与えられた人生を使命を持って、一生懸命にしっかりと生きて行くことだと思う。和子ちゃんのご冥福を祈ります。
新潟柏崎からご主人の運転で、わざわざ神奈川県のアトリエ和まで、来てくださいました。奥様は聾唖の方ですが、とっても古布の大好きな方。言葉がすぐに古布を通じて伝わってしまいます。刺し子がお好きのようで、蟻のように細かに刺してあるコートに見入っていました。残念ながらそのコートは私が20年以上も着ている私物。お売りできないのです。ごめんなさい。猫が大好きで家に12匹も飼っているそうです。お好きなのを3点も見つけられ、喜んで帰られました。ずーと車の中で、お休みになられていたご主人様。新潟からの運転でお疲れだったのでしょう。やさしい方ですね。新潟に帰ったら雪でしたとファックスがありました。また来てくださいね。ありがとう。
写真は四国の芝居小屋で見つけた幕です。何々さんへと連盟で贈呈した人の名前が書かれていました。