旬の無花果を寒天寄席にしました。寒天は、伊那食品のかんてんぱぱで作ると、とってもうまくいきますよ。寒天にはグラニュー糖を入れて甘みを出しました。冷して召し上がれ!美代ちゃんデザートです。
秋の展示会に向けて、制作中。野良着刺し子ほどき、洗濯。細かい糸くずを取り、アイロン。古布は服にするまでのは沢山の工程があります。それにしても、昔の女性の刺し子は宇宙的な手仕事です。
以前のブログに注文のピンク紅花染めフードコートを送りましたところ、しばらく連絡がなかったので、もしやお気にめさなかったのではないかと心配していました。昨日電話があり、体調を壊して、寝込んでしまっていたとのこと。とっても気にいって下さって感激でした。ぜひ今年の秋からは着て、歩きたいとの事でした。良かった。私の自信作ですから、闊歩してください。作家冥利です。こういう言葉が一番嬉しいのです。
ヒロシマからフクシマへー戦後・激動の現場
反骨の写真家、福島菊次郎92歳の写真展を横浜日本新聞博物館に見に行く。
敗戦後、廃墟と化したヒロシマで撮影をはじめ、90歳でフクシマにカメラ
を持って向かった福島菊次郎さん。ぜひ、見たかった写真展です。
衝撃的だったのは、原爆の被害者の10年にも及ぶ困窮生活を活写した
「ピカドン ある原爆被災者の記録」だった。その被災者は福島さんに
「あんた、代わりに仇を打ってくれ」と撮影を許可したという。10年にも及ぶ
密着撮影。ところが、本人が亡くなり、お悔やみに出向くと、家族に「帰れ!」
と怒声を浴びさせられた。福島さんは自分の行為が家族にどれほど不快な思いを
させていたか気が付かず、大きなショックを受け、自分のした仕事に疑問を持ったという。
三里塚闘争、東大安田講堂攻防戦。確かに、あの時代の若者たちは熱かった。権力に怒りを持ち
、命がけで闘っていたような気がする。今の時代はどうだろう。福島原発事故から2年半。相次ぐ、放射能
の海への漏出。憲法改正問題。などなど。
福島菊次郎の信条は「余命後1年。生きたらもう1年」
2013年8月24日から10月20日まで
会場 横浜新聞博物館 2階 企画展示室