ローマテルミニから地下鉄に乗り、3駅目のチルコ・マッシモで下車。
教科書に出てくるカラカラ浴場に行く。 ここは1700年前の皇帝カラカラが、ローマ市民の為に作った娯楽の場所とか。 広大な施設には高さ30メートルの壁で囲まれ、図書館、礼拝堂、劇場、プールなども備えられていたというから、驚き。
緑が多い、ロマン溢れる風情のあるエリアでした。
直ぐ下にはアッピア 旧街道の石畳。
古代のローマ人ののった馬の足音が聞こえて来るようでした。不思議な感じでした。12時にローマから、ユーロスターにのり、フレンッエへ。
インターネットで予約した、キッチン付きのホテルが、現地に行ってみたら、存在していないのだ。
隣の店の人に聞いたら、以前にも、そんなトラブルがあったという。
どうしよう、今日から10泊も何処にとまるのだー。
親切な日本人の女性店員さんがHISを紹介してくれた。
急きょHISへ。
又、運の悪い事に芸術祭が開催されているということで、フレンッエのホテルは満室。空きがあっても、普段の3倍の値段。
エエイ!フレンッエでなくても、近郊で。あった。ローカル線で一時間も乗った所の町。ピサ。
あのピサの斜塔で有名な何処です。
一部屋8000円ほど。
とっとことっとこローカルに乗って着いた時刻が19時。
まだまだ明るい時間。
駅前のコジャレたホテル。
明日から、この小さい町ピサを中心に動きます。
トラブルはトラブル。インターネットは信用してはいけませんよ。
行く前から嫌な予感がしてました。
でも、禍転じて福となす。返って良かったかも。
始まり、始まり、気まぐれの旅が。
眠いー。もうダメだー。
海外パケット写真添付は高額請求されるおそれがあるので、最小添付とし、帰国後に沢山写真挿入します。
「長い旅だったなー」
「うんだー。長かった」
「家出てから、ローマのホテルに着くまで24時間だべー」 「飛行機の中、12時間、長かったなー」
「ブロイラーだー」 「地球の反対側まで来たんだからすげーなー」
「皆んな、連れてきたかったな」
夕べは雷雨。
朝、ローマ・テルミニ駅からバスで20分の、ウ゛チカンヘ向かう。
イタリアの旅は今回で10回目になるが、まだ、一度もいったことがなかった。 どうしても、システィーナ礼拝堂のミケランジェロ、絵画史上最高傑作といわれる「最後の審判」「創世記」そしてラファエロの間「アテネの学堂」は観たかった。昨年上野の国立西洋美術館にミケランジェロ展が開催され見に行ったが、絶対、本物を観てみたいと思った。
美術館で並ぶ事二時間。
長蛇の列。
やっと入場でき、美術館のハイライトにラファエロとミケランジェロがあった。
やはり、本物。
圧巻。
ミケランジェロの2作品の一つ世界終末の日を描いた「最後の審判」中央に審判を下すキリストがいた。そのダイナミックな構成、緻密な描写。人間の技とは思えない。神の力か。強烈な感動を感じとる事ができた。
来て良かった。
田吾作兄弟二人連れて、イタリア行って来まーす。
何しろ12時間もエコノミーで、ブロイラー状態。
ビジネスクラスで行きたいなぁー。
毎日blog投稿します。見ていてね。
ここに17冊の父の訟廷日誌がある。
昭和42年から昭和58年までの17冊。
脳出血で倒れるまで弁護士活動をしたのは
たった17年間しかない。
小さな文字で毎日の予定が蟻ん子のような小さな字で
書きこまれている。
一日の休みも無く、激務であったが、
正義派の弁護士であることに誇りを持ち、
弱者を救う事を天命とした父であった。
もし、今、生きていて、昨今の不祥事を起こす
金儲けのことしか考えない弁護士に対し
烈火のごとく怒るに違いない。
ユダヤ人を救った外交官杉原千畝やドイツの実業家
オスカーシンドラーのように
父は多くの弱者を救った。
新宿西口広場で脳出血で63歳で倒れた。
17年。あまりにも短い弁護士活動であった。
父がいつも口にしていた言葉。
「弱い者をいじめてはいけない。
正義は必ず勝つ。」
父はどんなに忙しくとも、家族への愛は忘れず、
かっこちゃんの誕生日とか、母幸子さんへの
感謝の気持がこの訟廷日誌から
窺い知る事が出来る。
私の宝。
※ 初めて読まれる方5月19日No1、5月21日No2(特に、この父の生い立ちは読んでいただきたい)、 5月27日No3からごめんどうでも、バックして
「裁かれるのは誰か」を閲覧して下さい。
もう100人を超える方が、閲覧して下さっている。
閲覧時間も1回に平均10分となっている。
本当にみなさん真剣に読んで下さっているのだと実感する。
江戸時代儒教学者の
佐藤一齋の言葉に
「小にして学べば壮にして、なすことあり
壮にして学べばすなわちおいて衰えず
老いて学べばすなわち
死して朽ちず」
父はもう25年前に亡くなったのに朽ちていない。
こうして多くの方が読んで下さっているのだから。
少し原稿を前に戻って見る。
古い殻、新しい殻
私がなぜ歴史の中に生きるかを書いたかについて若干説明しておきたい。
こんなことを言った人がいる。「歴史とは望遠鏡で過去を見ているような
もので、その対象は判り見えるが、最も身近なところはボヤけていてしか
見えない」となるほどうまいことを言うなと思った。
確かに歴史の中のある事象を捉えて、これを克明に調べるとそのことは
誠に興味深いこととして印象に残る。
だがそれは、焦点をあてたある過去の時点の出来事に過ぎず、その時点は現
在を遠ざかる程鮮明になる。場所的に言われる灯台もと暗しという言葉は
時間的に見る歴史に当てはまる。歴史的、時間的な観察には更に客観的な要
素が加わる。この客観的な要素は、必然的に評価の要素を含む。
すなわち俗な言葉で言えば、岡目八目的要素が加わるのである。
人間とはおかしなもので、先祖代々の出来事を性懲りもなく繰り返しながら
現在の自己を最高の頂点におきたがる。
そのくせ過去の失敗とか成功を統計的に眺めてああでもない、こうでもない
と言いたがる。その歴史的要素を抜いた批判が近視眼的評論となってマスコ
ミを賑わす。
近視的にしろ、遠視的にしろ、そこには事象の判断、評価が生ずる。いずれ
にせよ、ある事象の好悪の判断は、その事象前後現在までの生活経験の中
でなさなければならないし、その事象がどうして生じたかの原因関係も、
その事象以前の出来事から手繰り寄せることである。
望遠鏡で身近が見えないようにわれわれの現在における行動とか、或いは
考え方政治現象などというものは、厳密にいってとかく現時点における好悪
の評価の対象にはならないのである。従って政治評論など八掛と同じような
ものである。これがため、現在のある現象についてどうしてこうなったかと
いうことは過去の歴史的体験の所産として割り出せても、マクロ的な価値判断は後世の人々に委せざるを得ないのである。
その時代時代で何事についても国民ないし国家のために「最も良かれ」と
信じて行動したことが、後世の人々から眺めて悲惨な結果であったり、その
悲惨な過去が原因となって次の時代に国家の繁栄を招来するのは、およそ人
間の行為というものがその時点では予測できないものであるということ。
まさに、人間の歴史は、神の意志によってのみ造りだされていると言って
も過言ではあるまい。その神の意思は人間の力を持っては到底予測出来難い
ものである。日本の過去の戦争が果たして日本国民のために良かったか、悪
かったかということも、ある歴史を通過しない限り判らないといえる。
17世紀中葉におけるイギリスのピューリタン革命で、クロムウエルが反逆者
扱いにされたことは、日本で足利尊氏が逆賊扱いにされたのと同様である。
ここで、われわれが考えなければならないのは、人間の歴史の流れには
思考の流れが伴うということである。この思考ないし思想の存在を無視
して歴史的事象を批判考証することは出来ない。
人間の考え方も生活環境の変換に伴って移り変わる。それが時代の流れ
であり、この流れを、一つの型に固定し、押し止めようとすることは
容易なことではない。今日、若い者と年配者の間に断層が生じたというのは
人間の考え方の移り変わり現象の表れである。
ここに古い殻の人と、新しいからの角逐が生ずる。
古いにしろ、新しいにしろいずれの考え方に立って事物を批判し評価する
場合、その結論を異にすることは明らかである。
その結論のいずれかが是であり、非であるかということもマクロ的立場に
立つ限り、またまた後世の人々の評価に任せざるを得ないのである。
歴史の流れとは、まことに「みねるばのふくろう」というべきものである。
このように考えながら、クロムエルや尊氏を見ると、彼らを逆臣とし国賊
扱いにしたのは、勤王派とか王統派の人々であって、後世の人たち、特に
今日的にこれを眺める場合、立場が変われば足利尊氏尊王論が成り立ち、
また、クロムエルの共和革命が国民のためになしたという意味で正当化
されたりする。何しろ、国王の首をチョン切ったクロムエルも立場の違い
からは、正義の士とも評価される。
歴史の流れとともに人間の思考も移り変わり、事物の評価も変わる。
まことに有為転変といおうか、諸行無常といおうか、人の価値判断の
変化には図り難いものがある。
われわれ自身もまた、自覚すると否とにかかわらず、歴史的、社会的存在
であり、繰り返す人間の歴史の経験の中に生きている。
これを否定する者はなかろう。
今日のわれわれは、流動の激しい世界的情勢の中にあって、あらゆる事象
に対し徒らに現在の風潮のみに捉われることなく、広い視野に立って
歴史の教訓をかみしめ、あらゆる現代の事象を分析し、評価し、判断
しなければならないと思うのである。
かかる観点から歴史の中に生きることの意義を充分に理解する必要が
あろう。
「いよいよ、あさってからイタリア行だべー」
「なんでも、和ちゃんが連れってくれる定員がよー二人なんだべさー。
二人は行けてよー、後二人は留守番なんだってよー」
「えっ!おら達全員は連れってくれねえのけー」
「そうだってよ、四人は無理だってよ。
仕方ねえ、アミダでもして決めんべえかー」
長男・田吾衛門と三男・田吾三が、公正な抽選の結果当たりくじ!
次男・田吾次と四男・田吾吉は、はずれで留守番。
「つまんねえなー、、、、、行けると思ったのによー。
イタリアの土産話でも聞かしとくれー」
「うんだー毎日、ブログに投稿するから、見ていてくれやー」
「元気で行って来いよなー」
「行きてえー」