7月1日ついに安倍政権は国民の民意を無視し、「集団的自衛権の行使」を容認した。
海外での武力行使を禁じた憲法9条を破棄する事に等しい。
以下「裁かれるのは誰か」
日本民主主義は欧米のそれと異なり、自ら日本人が汗と血で勝ちとったものでなく、敗戦の占領権力によって与えられたため、ゲマインシヤフト的な日本人には真に親しみにくい主義であった。日本の歴史的伝統である士農工商の身分制度は旧憲法下の貴族制度となって温存され、福沢諭吉らの先覚者により欧米思想が輸入されてきたとはいえ、明治初期の自由思想は弾圧されて崩壊し、身分制度的封建国家となって敗戦時の1945年まで続いた。この功罪は日本人をして、権力に弱い、長い物には巻かれろ主義の卑屈さを一面に持つ国民にし、忘却を貴び何事にもあきらめ易いが人間をゆるすことの出来ない国民性を育成した。
権力によわい性格は、法より権力に従い易く、結局法軽視の社会現象が多くなり、忘却を貴ぶ性格は、何事にもあきらめ易く、粘り強く事を成し遂げようとしない傾向をうんでいる。
このような、歴史的所産といえる国民性が僅か30年程度の民主化教育で全く欧米並みの民主主義を身に着ける国民となることは考えられないが、問題は、島国の単一民族である日本人
を戦後からどの程度民主化できたかにある。民主主義とは政治が国民によって監視監督され
国民の意思により左右される主義であるに拘わらず我が国では政治権力が国民を左右している。国民軽視の強大な政府が生じ、権力に弱い国民は「お上意識」を持ってこれに盲従している。民主主義政治は、独裁権力や、全体主義国家権力の行使のように即戦即決で政策が決定されるものではなく、国民の総意に支配される点でその政治は遅々として緩慢なものである。だからこそ、その政治にはしぶとい力強さが潜んでいる。民主主義国家には独裁的な英雄は必要でなく、知的に富む良識ある人材が必要なのである。権力者を選定し、罷免するのは国民の意思にあることを忘れてはならない。
「イタリアから帰って来て、時差ボケなんて言ってられねえだよ!!」
「ウンニャ、、、兄ちゃん何、怒っているだよー!」
「おめえー、ニュースとか新聞見てめえのけー?これが怒らずにいられるか!
集団的自衛権を安倍内閣が閣議決定したって云うじゃねえか!
これはテイヘンな事になったべー!。
この国には民主主義ていうもんがないのかよ!安倍は泣く子がそのまま、
地頭になったようなもんだ!僕これがほしんだもーんと言って決められちゃった
ようなもんだ。」
「泣く子と地頭には勝てないていうことわざがあるもんなー」
「そうよ!このままだと、日本は戦争の出来る国になってしまう!
戦争を知らない人間が、政治権力を握ると、こういうことになってしまうのか。
俺たち、国民は、内閣に白紙委任したわけじゃーねえ」
「うんだ!」
「集団的自衛権の行使ていうのなー、でかい国と一緒になって、戦争を仕掛ける
権利ということなんだ。安部政権は憲法9条を”廃棄処分”にしたんだ!
こんな、デタラメな法の解釈を許した国はもう法治国家ではないよ!
69年も戦争をしない国の平和憲法を蔑ろにし、捨てた代償、必ず、オレたち
国民、そして今の子供たちに跳ね返ってくるよ!」
「イタリアに行った時も、イタリア人もあきれていたなー。
なんで、日本人は立ち上がらないのだって。
おとなし過ぎるよ」
「そうだ!日本の全ての人が、安部政権の暴走にストップをさせる行動に
出るべきだ!」
「うんだ!」
広島の被爆詩人栗原貞子さんの詩がある。
「ヒロシマというとき」
/ヒロシマというとき
/ああヒロシマとやさしくこたえてくれるだろうか/
ヒロシマといえば パールハーバー/
ヒロシマといえば南京虐殺/ 中略
ヒロシマといえば ああ やさしいこえがかえって来るためには
私たちの汚れた手を/
きよめなくてはならない
「スッかしよー、もう帰国だべー」
「うんだべー、長えような、短けえような。」
「楽しかったなあー」
「16日からだべー、帰ったら7月だべー。まだ、梅雨はあけてねえな。」
「さあー、元気で帰るべー。12時間此れから長えぞー」
「けえったら、寿司食いてえー。丸亀の讃岐うどんも食いてえなー」
「うんだ、腹いっぱい食うべえ」
ミラノドゥオモ聖堂に入ってみた。
イタリア最大のゴシック建築。
完成までに500年以上費やしたという。
聖堂に入るのは今回が初めてである。
回廊を歩いて行くと、真ん中に大祭壇があり、讃美歌とともに儀式が厳かに行われている最中であった。
私も、薄暗い中、椅子に座って、手を合わせた。
神父さんが煙をたく。 何を言っているのか判らないが、感じ取るものがあり、目を瞑ると自然に涙が頬を伝わってきた。なんなのだろ。
静かに、静かに、この静寂さ。
65年間の総てを洗い流してくれているような。私はクリスチャンではない。
懺悔。
神と人間。
この旅行の前日、作家塩野七生さんがBSに出演していた。
「イタリアに行って何かを感じ取る事が大切なのです」と言っていた。
確かに。私はずーっと、この言葉の意味を旅の間中、頭から離れなかった。 でも、この聖堂で何かを感じ取とれた事は確かな事である。
此れからの私の人生、そして、大好きな仕事に活かしていきたいと、強く思います。
旅は人生の縮図。
個人旅行は自分で総て考え、判断し、自己責任において行動しなければならない。上手くいった時の爽快な事。トラブた時のショック。反省。スリル。予定は未定。気の向くまま。だから、個人旅行は止められない。今回の旅もトラブル続きでしたが、その時不思議にいろいろな人に助けられます。すーと助けが降りて来てくれるのです。なかなか上手になれないイタリア語ですが、何とか通じると嬉しい。日本では旅行に行くと「気をつけてね」といいますがイタリアでは「ウ゛ォーン・ウ゛ィアジョ!(良い旅をね!)プラスから入る気持ち良いフレーズです。明日はミラノ・マルペンサ空港から、帰路へ向かいます。
元気に帰って来まーす!
貧乏を楽しんだ旅でした。
ウ゛ネチァメストレ駅を朝、11時に出発して、ミラノ駅に13時間半に到着しました。
列車の旅も16日のローマからここミラノで終着です。
ミラノの駅は大好きな駅です。
映画「ひまわり」で、ソファローレンとマストロヤンニが、最後に別れる、名場面のプラットフォームです。
このミラノ駅哀愁がありますね。
別れと出会い。
駅舎は物語がなくてはね。
でも、こんな派手な鯉のぼりを着た人に哀愁なんかあるのかしらね?
フレンッエからウ゛ネチァへ。
いよいよ、旅も終盤。
インターネットサイトで、又々、ウ゛ネチァもホテルの予約が取れていませんでした。フレンッエの失敗から、事前にH. I.Sに行き、予約をしました。ウ゛ネッア本島は全て満室。一つ手前のメストレ駅にとりました。
本島に入る一つ手前の駅です。電車で10分で、静かな町。そして、安い。穴場。
ウ゛ネチァ本島は世界中からの観光客。人、人、人。日本だったら、渋谷、新宿並の雑踏。細い道は土産物やさんだらけ。
サンマルコ広場も、雑踏、ごった返し。 この前BSで放映していたウ゛ネチァとは大違い。
おまけに7色旗をもった同姓愛者たちの恐ろしいくらいの数の奇声を上げながらのデモ行進。
巨大迷路のウ゛ネヂアの街をやっとこさ抜けて、バス停へ。 メストロの町に帰って来てほっとしました。疲れた。
近くのスーパーで、ハム、野菜、チーズ、ワインを買って、夕食です。
明日はメストレ駅から列車に乗ってミラノへ向かいます。
フレンッエの3日間も今日でおしまい。
朝早く中央市場に行きました。
この市場はもう、観光地化して、少し面白くなくなっています。
2階も以前は青果売り場でしたが、綺麗な食堂に変わっていました。 お肉屋の肉の塊の量が半端じゃない! イタリア人って食欲旺盛ですが、流石、フレンッエっ子の胃袋を満たす市場ですね。
フレンッエの街中は、観光客でいっぱい。 例え、道を聞いても、皆、フレンッエ人ではありませんから、聞いても無駄。 逆にこっちが教えてあげています。 午後は
フレンッエ駅前から12番のバスに乗り、ミケランジェロ広場まで行く。
もう、ここは、良く知られた、観光地。
丘の斜面にあり、ドゥーモ、ウ゛ッキオ宮、アルノ河に架かるウ゛ッキオ橋が一望。
でも、もう少し、広場の上を登って行くと、穴場があるんです。
それは、サン・ミニアート教会です。
ロマネスク様式の美しい教会。
ここからの、フレンッエの眺めは最高です。観光客の賑わいも無く、静かに、街を印象的に、ずーっと眺めていられます。
今晩も、25日に正太郎君、ゆいちゃんと一緒に食事をした、レストランに行きますよ。今日で3日通いました。
2回行けば常連客。
本当に美味しくて、安くて、雰囲気の楽しいお店です。
日本人のスタッフがいるので、メニュー表に困る事はありません。
夕食をリッチにしたい為、朝はホテルの朝食付きで、食べ放題。お昼は、水とパニーノをパクつき、節約しています。
田吾作兄弟はご飯が食いてえと騒いでいますから、連れて行きません。
明日はウ゛ネチァに向かいます。