30キロの紙米袋で作ったエコバック。
丈夫な紙が三重になっていて、破れません。
軽くて、沢山入ります。
これが、本当のエコバックです。
取っ手は鯉のぼりの吹き流しから(笑)
春はもうすぐですね。
まだまだ寒いですが、、、
明日も伊勢原で野菜を仕入れに。
春になる前の野菜は最高ですね。
菜の花、ラデシュ、キャベツ、、、
今年はいろいろな野菜にチャレンジしてみます。
デイナーは学生の子たちと一緒に営業をしています。
注意もしますが、皆、素直に受け止めて仕事をしています。
学生の皆は限られた期限ですが、いい勉強になると思います。
お金を戴く大変さ。
を学んでもらいたい。
かつ、
人に喜んでもらえる楽しさを学んでもらいたい。
と思います。
自分にも言っていますが・
つまるところ、感謝の感度を高めてもらいたい。
当たり前に、ごはんがあり、
当たり前に、暖かい部屋があり
当たり前のように学校に行き
当たり前のように携帯でゲームできる。
大学も専門も選択できる。
でも、その裏には、必死で働く親がいて
みんなをスムーズに生活できるように必死な母親がいて
常に税金、家計と向かい合う人間がいて
最も、近い人の無償の愛があるから日々、平和に過ごせるわけで
そんな、背景を仕事から、学生の子たちに感じてもらえればいいかな。
僕も若いころボンクラでしてから。
今になって、親の気持ちが少し分かります。
心から両親に感謝しています。
守られていたことを、実感して、人を守る人間に成長したいと思います。
守りたい人がいるにはなんて幸せな事だろう。
いや、実は守られているのは、自分かも。
酒袋とは日本酒を作るとき醪を絞る袋。
柿渋を何度もかけて、強度を増します。
黒ずんでいる茶が時代を醸し出しています。
修理した針目が、アート。
用の美。
近所にある、原ミシンさん。046-274-5970
随分長いこと、お世話になっている。
ここのご主人は本当に、ミシンの職人さん。
26年前にジュウキの職業用ミシンを購入した。
メンテナンス、修理、どれほど、酷使したミシンをお店に持ち込んだか。
いつも、ピカピカにして、修理してくれる。
26年も使っているのだから、もう新しいのを、買ったらと普通は言うでしょうが
そんな事1度も言ったことは無い。
でも、今回ばかりは、もう、本社で部品の製造がされていないということだった。
ご臨終。
本当にお世話になりました。
新しい、ミシンを購入する。
ジュウキとドイツで開発された、直線縫いだけのミシン。
今、流行りの高価なコンピュータミシンではない。
必要なものしかない。シンプル。故障も少ない。
スポットライトもLEDになって明るい。
嬉しいのは、針に糸通しが付いていて、パチンと一発で糸が通ることだ。
これからは、針の糸通しが難儀になる年齢になる。
さあ、これからも、頑張って、ミシンを踏みますよ!
あと何年、踏むかな?
ギネスに挑戦するかな?
今日、午後5時から、渋谷ハチ公前で
後藤健二さんの追悼集会が行われた。
報道陣、外国の方も沢山集まっていた。
プラカードと、灯りを持った、静かな、集会であった。
ずーと、涙を流している、若者。
それぞれ、静かに、後藤健二さんの冥福を祈った。
明日は天気が崩れそうなので、
洗濯三昧。
幟収集家の第一人者で北村勝史氏によると明治39年以降の幟旗は「生命の安泰を願う祈り」から「金儲けの祈り」
に祈る対象を変えてしまい、したがって絵柄も定型化し、金のご利益があるように華美な化学染料による色彩、省力化のための
型染の世界に急速に変化していった。この時期の旗には、生命の安泰の祈りは無いので、使用されなくなった幟旗はリフォームの材
料に供されて、新しい服として再生されても良いと思う。
と北村氏は語っている。
更に北村氏は過酷な生活環境の下、日々生命の安泰の祈りを願った、明治39年以前の江戸民衆の「祈り」拠り所であった幟を、切り
刻み、衣服に再生するべきではないと述べている。
鯉幟は江戸中期位から、幟旗の脇役とし登場し、やがて独立したものです。明治末位までは、基本的には紙製で、黒幟
だけでしたが大正以降から木綿製のものが多く普及されました。