父大谷季義著・裁かれるのは誰かNo5 |杉浦和子の世界、衣・食・住・人の旅

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私は、古布を全国から足で歩いて収集し、服をデザインし、作品を作っている杉浦和子と申します。北は北海道から南は沖縄まで作品展を開催しております。おかげで全国の美味しい食べもの、市場、人、自然の風景、地方の街など、多くの感動、感激そして人の出会いがあります。その情報を皆様にブログを通じてお知らせしたいと思っています。日本だけでなく世界の情報も。杉浦和子の日本、世界の衣、食、住、人の旅にご期待下さい。楽しい発見がきっと見つかりますよ。

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7月1日ついに安倍政権は国民の民意を無視し、「集団的自衛権の行使」を容認した。

海外での武力行使を禁じた憲法9条を破棄する事に等しい。

生前父が最も心配していたことが的中してしまった。

以下「裁かれるのは誰か」

 

日本民主主義は欧米のそれと異なり、自ら日本人が汗と血で勝ちとったものでなく、敗戦の占領権力によって与えられたため、ゲマインシヤフト的な日本人には真に親しみにくい主義であった。日本の歴史的伝統である士農工商の身分制度は旧憲法下の貴族制度となって温存され、福沢諭吉らの先覚者により欧米思想が輸入されてきたとはいえ、明治初期の自由思想は弾圧されて崩壊し、身分制度的封建国家となって敗戦時の1945年まで続いた。この功罪は日本人をして、権力に弱い、長い物には巻かれろ主義の卑屈さを一面に持つ国民にし、忘却を貴び何事にもあきらめ易いが人間をゆるすことの出来ない国民性を育成した。

権力によわい性格は、法より権力に従い易く、結局法軽視の社会現象が多くなり、忘却を貴ぶ性格は、何事にもあきらめ易く、粘り強く事を成し遂げようとしない傾向をうんでいる。

このような、歴史的所産といえる国民性が僅か30年程度の民主化教育で全く欧米並みの民主主義を身に着ける国民となることは考えられないが、問題は、島国の単一民族である日本人

を戦後からどの程度民主化できたかにある。民主主義とは政治が国民によって監視監督され

国民の意思により左右される主義であるに拘わらず我が国では政治権力が国民を左右している。国民軽視の強大な政府が生じ、権力に弱い国民は「お上意識」を持ってこれに盲従している。民主主義政治は、独裁権力や、全体主義国家権力の行使のように即戦即決で政策が決定されるものではなく、国民の総意に支配される点でその政治は遅々として緩慢なものである。だからこそ、その政治にはしぶとい力強さが潜んでいる。民主主義国家には独裁的な英雄は必要でなく、知的に富む良識ある人材が必要なのである。権力者を選定し、罷免するのは国民の意思にあることを忘れてはならない。

 

2014年7月3日(木)
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