「イタリアから帰って来て、時差ボケなんて言ってられねえだよ!!」
「ウンニャ、、、兄ちゃん何、怒っているだよー!」
「おめえー、ニュースとか新聞見てめえのけー?これが怒らずにいられるか!
集団的自衛権を安倍内閣が閣議決定したって云うじゃねえか!
これはテイヘンな事になったべー!。
この国には民主主義ていうもんがないのかよ!安倍は泣く子がそのまま、
地頭になったようなもんだ!僕これがほしんだもーんと言って決められちゃった
ようなもんだ。」
「泣く子と地頭には勝てないていうことわざがあるもんなー」
「そうよ!このままだと、日本は戦争の出来る国になってしまう!
戦争を知らない人間が、政治権力を握ると、こういうことになってしまうのか。
俺たち、国民は、内閣に白紙委任したわけじゃーねえ」
「うんだ!」
「集団的自衛権の行使ていうのなー、でかい国と一緒になって、戦争を仕掛ける
権利ということなんだ。安部政権は憲法9条を”廃棄処分”にしたんだ!
こんな、デタラメな法の解釈を許した国はもう法治国家ではないよ!
69年も戦争をしない国の平和憲法を蔑ろにし、捨てた代償、必ず、オレたち
国民、そして今の子供たちに跳ね返ってくるよ!」
「イタリアに行った時も、イタリア人もあきれていたなー。
なんで、日本人は立ち上がらないのだって。
おとなし過ぎるよ」
「そうだ!日本の全ての人が、安部政権の暴走にストップをさせる行動に
出るべきだ!」
「うんだ!」
広島の被爆詩人栗原貞子さんの詩がある。
「ヒロシマというとき」
/ヒロシマというとき
/ああヒロシマとやさしくこたえてくれるだろうか/
ヒロシマといえば パールハーバー/
ヒロシマといえば南京虐殺/ 中略
ヒロシマといえば ああ やさしいこえがかえって来るためには
私たちの汚れた手を/
きよめなくてはならない