ここに1冊の亡き父の著「裁かれるのは誰か」という
本がある。
昨年の12月亡くなってから25年祭を迎えた。
もし、生きていたとすれば96歳。
今から。40年前に憲法学者でもあり、軍事評論家の弁護士の大谷季義(おおたにすえよし)
が書いた300ページにも及ぶ本である。
なぜ、英語版かというと、日本のある雑誌に3年半に及んで連載され、友人でもある日系アメリカ人が、大層な感銘を受け、英語で翻訳し、アメリカで出版された。
アメリカ各州で父は講演をし、時の大統領ジミーカーター氏から、感激の手紙を貰っている。
帰国後、日本で日本語版の話が持ち上がった時に、父は新宿西口広場で脳出血で倒れ、7年間入退院を繰り返し、70歳で亡くなった。
最近、ふと、居間にある本箱を見たら、茶封筒に
入った元の原稿が見つかった。
私が結婚する前に父の仕事を手伝っていたことがあり、
私が、和文タイプで打った原本であった。
今、この原稿を手にした時、私に激震が走った。
まさに40年も前に父が書いていたことが現在の問題
として的中しているではないか。
膨大な量の原稿であるので、
少しずつ、私のブログに投稿していきます。
今日、朝、車で30分の父の墓前に行った。
「かっこ、頑張って、書いてくれ!」
と父の声が聞えたような気がした。
序文
この書は、日本国憲法の3大根本規範である平和主義、民主主義、人権
尊重主義に立って特に平和と民主主義の見地から、現在の日本国民の
思考形態を、歴史、政治、軍事、労働、宗教等の面から述べたものである。
我が国は第二次大戦の敗北により戦争の悲惨さを身をもって体験し、
二度と再び戦争をしないと誓った。
この恒久平和への願望は憲法前文に
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように
することのないようにすることを決意し」
と述べ、第9条において戦争放棄を宣言した。
この憲法成立のいきさつについては、本文に述べてあるが
現在でも全国民の心に潜む平和への願いは変わりは無いと
信ずるものである。
最近、忘れやすい国民性から体験したあの戦争の悲惨さを
忘却して再び軍事大国への道を進もうとする気配が
一部権力者に芽生えつつあることは
国民として、大いに警戒を要することである。
憲法上の平和宣言はともかくとして
日本は軍事強国には絶対なれないことを自覚しなければならない。
第二次大戦で我々は、資源なき軍事力は張り子の虎であることを
十分味わされた。野戦車の破壊というモルトケ流の決戦主義の戦争
形態はすでに去っている現在、戦いは決戦の連結する総力戦であって
生産能力と人的資源だけでは戦力の基礎とはならない。
国の戦力は人的、物的資源と生産能力乃至経済力と科学力と精神力と
戦争技術の相乗積であって、その一つがかけても結果は零となる。
現在の我が国は有能な経済大国ではあるが、有力な経済大国ではない。
それは、石油、鋼鉄等の資源小国であるからである。
我が国の総合能力を考える時我が国は絶対に軍事大国への道を
歩んではならないのである。
前者の教訓を忘却し再び軍事力の惨禍を招き、今度こそは我が国は
壊滅の悲運に遭遇することになろう。
我が国が将来永久にに生存できる道は
他国が手を出せないほどの高度の文化国に成長することである。
我が国は無軍備、無戦争を誓い、高度文化国家として世界各国承認のもとに
平和への道を歩もうとした。
これがため、アメリカはこの文化国家の建設を保証するため日米安保
条約を結んで日本の安全を保障した。
最近福田首相は施政方針演説で「国の防衛は国家存立の基本であり
政府の果たすべき責務である」と強調した。
これに続いて、防衛長官は「自衛隊が敵に脅威を与えずして何の
防衛か」と発言。
来栖幕僚長などは「攻撃的軍備と防御的軍備の区別は難しい」旨述べて
国会で問題化されているが、ここまで来ると憲法の平和条項と全面的
に対立することになる。
続きは、次回に。