「ハンナ・アーレント」神保町岩波ホールにて。
封切りから、ずーと、連日満席というこの映画。
明日で最終日なので、なんとしても行ってきました。
11時30分が開演時間ですが、10時で、もう長蛇の列です
。
岩波ホールは小さな劇場ですので、11時半のチケット買えるかな?
心配しましたが、ぎりぎりセーフで入場できました。
ナチスのユダヤ人迫害の最高責任者のアドルフ・アイヒマンの裁判、公判を傍聴し、記事にし
た、哲学者で高名なハンナ・アーレントの実話にもとずく映画である。
ナチスの親衛隊で何百万人ものユダヤ人を強制収容所に移送した責任者アイヒマンは私が中学
生のころ、逃亡先のアルゼンチンで逮捕された衝撃的なニュースはいまだに覚えている。
裁判はイスラエルで始まり、ハンナ・アーレントが裁判の傍聴を願い出る。
裁判が始まり、アーレントはガラス越しに見たアイヒマンは自分が想像した「凶暴な怪物」で
はなく、「平凡な人間」なのではと思い始める。
アイヒマンはナチスの命令に従っただけとアーレントは「ザ・ニューヨーカー誌」に掲載した。
アイヒマン擁護ということで、世界的に彼女に猛攻撃、批判を浴びることになる。
友達や大学の同僚からも攻撃、電話の抗議、誹謗中傷の手紙、大学からも辞職を勧告される
。
しかし、アーレントはひるむことなく、大学の講義で命を懸けた魂のスピーチが始まる。
それは
「ソクラテスやプラトン以来私たちは”思考”をこう考えます。
自分自身との静かな対話だと。
人間である事を拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。
それは思考する能力です。
その、結果、モラルまで判断不能となりました。
思考が出来なくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。
過去に例がないほど大規模な悪事を。
私は、この問題を、哲学的に考えました。
”思考”の嵐がもたらすのは、知識ではありません。
善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。
私が望むのは、考えることで、人間が強くなれることです
。
危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬようにすることです」
話し終え、学生に背を向けて立つアーレント。
拍手が上がった。
毎日、チケットを求めて満席になる、この映画の価値が分かりました。
今、世界、日本で求められている事、このアーレントの言葉の中にあります。
師走の季節、本当に考えさせられる、良い映画でした。
明日が最終日です。
神保町岩波ホール
2013年12月12日(木)