近江昔話より
「昔、近江の滋賀の里に美しい一人暮らしの若者がすんでいた。
毎日、琵琶湖へ出て漁をしては京に売りに行くのをなりわいにしていました。
魚が売れて儲かった日は、飴などを買ってきては近所の子供たちに与え、売れ残ったときは近所の老人にあげるなど、たいそう評判の良い若者でした。
毎朝夜明けに漁に出るときは、いつのころからか、みめうるわしい娘が彼を
見送るようになりました。言葉こそ交わしませんでしたが、いつしか
心と心が通じ会う仲になりました。
ある日、彼が帰るとその娘さんが、家を掃除し、夕食の支度をして待って
いました。
そして「お留守に失礼でしたが、寄せていただきました。長く家において
くださいませ」と頼みましたので、二人は祝言をして夫婦になりました。
夫婦の中もむつまじく、やがてこどもが生まれました。
ところが、ある日、妻は「実は私は琵琶湖の龍の化身で、神様にお願いして
人間にしてもらっていましたが、もう湖に帰らなければなりません。」
と泣くのです。彼は子供まであるのに、、、、、」と引き留めましたが
妻は、「神様に嘘はつけません」と湖へ沈んでしまいました。
やむなく夫は昼間はもらい乳をして、子供を育て、彼は浜へ出て、妻を
呼びました。すると妻があらわれ乳を飲ませては、また沈んでいきました。
こんな毎日が続いた後、妻は自分の右の目玉をくりぬいて、「これからは
乳の代わりにこれをなめさせてください」と夫に渡しました。
半信半疑で、泣く子にその目玉をなめさせて煮ると、不思議に泣き止み
ました。が、毎晩の事やがて目玉をなめ尽くしてしまいました。
そこで、また浜に出て、今度は左の目玉をもらってやりました。
その時、妻が「両方目玉がないと方角も分かりませんから、毎晩、子供
を抱いて、三井寺の釣鐘をついて下さい。その、音であなた方の無事を
確かめて安心しますから」と申しました。」
それから、毎晩三井寺では晩鐘をつくようになったということです。
近江八幡市・八田孝蔵
梅原猛著作集 16 湖の伝説より抜粋いたしました。