今日は日比谷公会堂の集会に参加した。
2000人が入れる公会堂も、満席。中に入れきれなかった人が、2000人以上とか。 如何に今、国民が原発に対して憤りを持っているか、また、関心の高さを感じます。
凄い熱気です。
福島から来た、和田央子さんの報告。
放射能を含む除染物質が、日本中、何処にも捨て場がなく、結局、和田さんの住む、福島サメ河村に除染施設を、大勢の村の反対を押しきって、今年8月に建設されたそうです。とこらが
稼働して10日も経たない内に、凄い大爆発が起こった。
なのに、報告では、ボンと起こっただけとされて全く、マスコミには報道されていませんでした。
多くの、福島の方が苦しんでいると、報道もされ無い、現地からの身に詰まされる、筆舌に尽くしがたい和田さんの報告でした。
医師肥田 舜太郎さんの報告 。いまは、退職して被爆者、核廃絶運動に各地で献身的に講演をされて居る。95歳になられるから驚きです。「もう一つ、原発事故を起こしたら、私たちはおしまいです。日本は滅びる。今、どうするか、将来の子どもたちが生きていく社会、世界を取り戻すことが必要です」との熱弁です。28歳の時に広島で原爆にあった肥田舜太郎さんは、ずーと、被爆者を診てきた。しかし、ほとんどの人は亡くなった。 放射能で一番怖いのは、内部被爆であると言っておられた。2011年3月11日以降、日本人は皆、内部被ばくをしているという。原爆投下をした アメリカはこの内部被爆者をモルモットとして、日本人医師たちに極秘を強いた。だから68年経った現在、内部被爆に関しての治療法が全く無いのだそうだ。肥田舜太郎医師は多くの、原爆被害者を診てきて、この、内部被爆(癌、白血病)が5年ないし8年目に出ることを、経験を通して、全部、知っているという。
福島そして、日本において、世界において、放射能汚染による内部被爆の治療法はないと発言しておられました。
最後に大江健三郎さん。
流石にノーベル賞作家。さすが、舞台に立った途端にオーラを放っている。「3・11で、多くの日本人が原発の全廃を決意したはずだが、事後2年半もたつとこれが危うくなってきている。
これから半年、この決意を譲ってしまうと、もう再稼働の流れを押し戻すことができない。
いまが、歴史を変える、分かれ道の時なのです」
広島、長崎の原爆にも触れ、「私たちが広島、長崎を経験したにも拘わらず、50数基もの
原発を作り、福島で大きな事故を起こしてしまった。
いま、どうするか、広島から現在を貫いて、将来の子供たちが生きていく社会、世界を取り戻すことが必要です。」と熱弁を振るった。
集会の後、日比谷公園を出発して、霞ヶ関省庁の間を通り、デモ行進をしました。
「再稼働をゆるすな!」
「福島を忘れるな!」
「大地を汚すな!」
「子どもを守れ!」
のシュプレヒコールとともに
子どものため、孫のため、ひ孫のため
いまの私たちが、原発を廃絶させなければ
なりません
この日の脱原発集会デモは、4万人になりました。