主人の妹が、昨年の9月に難病になった。遺伝率が50パーセントという脊髄変形症という病気だ。長女の義妹も10年前に発病。今は、胃瘻で寝たきりの入院生活である。今度は次女である義妹光ちゃんまでも、同じ病気になってしまった。光ちゃんは、東京志木市で、子供のために家を「文庫わらべの家」を作り、子供たちのために開放したり、地域のボランテアに積極的リーダーだった。昨年、旅先で、転んで、検査したところ、病気が判明した。東京の某病院で「入院していろいろ調べなければはっきりしませんから」と言われ、娘さんも、「鹿児島に行くなんて、延ばして検査しなさいよ。私なら、パソコンを持って、2.3週間ゆっくりしてくるわ」。難病と思われるから、詳しい検査をするために入院しろというのと、パソコンを持って療養しに行くのは大違いと言い、「明日、死んでも良いから、入院はしない」と言って、12月に御主人の雅夫さんとともに鹿児島に移転した。それから、毎月、「鹿児島便り」の冊子を送ってくる。今回でNo5.鹿児島での生活が、書かれてある。マメな義妹である。どのページも心に染みてくる。ピアノは小学校から習っていて、フルートは9年になるという。鹿児島に来ても、ピアノ、フルートを習いにご主人の運転の送迎でレッスンに、行っている。ご主人の雅夫さんは全く音楽には興味が無くその間、喫茶店で、コーヒーを飲みながら、本を読んで待っているそうだ。今では、顔なじみとか。あっちこっちのコンサートに行ったり、錦江湾からの桜島を眺め、鹿児島生活を満喫しているようです。東京から思い切って引っ越したことは、よい英断だったと思います。次回の通信No6が楽しみです。