東京町田の近くで 生まれ、同じ名前の和子ちゃんを失った喪失感は大きい。今日、野辺の送りだった。長い癌との闘いであったでしょうに、和子ちゃんは美しい顔をしていた。5年前に乳癌を患い、最後は脳に転移して、今年の夏からは家の中で車いすの生活だったそうだ。4歳のころから、二人で よく遊んだ。当時は、町田の近郊は、ほとんどが茅葺の家であった。和子ちゃんはの家とは道1本くらい離れたところにあってお互い行き来きするのに最短コース(よその家の庭を通り、玄関から、土間、勝手口を出て、行く)、今では考えられないことだが、戦後はあたり前のこと。子供は近道を知っている。母親同士も戦後の大変な時代を乗り越えてきた人たちで、仲良しであった。よその子も自分の子も同じようにかわいがった。枕を持って、お泊りは常であった。行幸道路に養豚の豚が逃げると大人たちが、追いかけ、2人で、その姿を見ていたり、そんな、幼い時の光景は忘れられなもの。たまに会うと、そんな、話で、笑いあった。いつか、、もっとおばあさんになったら、家族がもういいよと言って聞いてくれなくなっても、2人で、同じ話ばかりしようねと約束したね。まだおばあちゃんにもならないうちに、もう一人の和子ちゃんは逝ってしまった。94歳になられるお母さんは、もうすぐ天国で、会えるからと参列しなかった。いくつになっても逆縁は辛い。今日は晴れているが、寒さが、身に染みた。遠くの大山が、きれいに見えた。