ベラ・チャスラフスカ。
50年前の東京オリンピックの五輪の名花。チェコスロバキアの体操選手。
東京では金メダル3個。4年後のメキシコオリンピックでは金メダル4個。
当時私は16歳。日本中、世界中が熱狂した。
50年が経っても、ベラ・チャスラフスカの優雅で気品に溢れた演技は
今も、私の脳裡に焼き付いています。
元旦の夜9時。BSで「東京五輪の体操名花チャスラフスカが語る栄光と失意50年の記録映画
激動のチェコでの苦難」というタイトルで放映した。
現在72歳。
テレビの映像から映し出されたベラには、当時の女優のような美しさは無かった。
彼女の栄光と失意。
メキシコオリンピック以後、彼女は体操の世界から姿を消した。
何があったのだろう。このドキュメンタリーに私は釘づけとなった。
それは1968年に起きた「プラハの春」という革命だった。
ベラはチェコの民主化運動を支持する「二千語宣言」に著名する。
ベラは革命の象徴となった。しかし、すぐに、ソビエトが、ワルシャワ条約を掲げて
プラハを侵略。ソビエトは革命の象徴であったベラを探し始めた。ベラは山岳隊により、
助け出され、森の小さな小屋に逃げ込んだ。
後、数か月でメキシコオリンピック。森の中での練習。丸太や木の枝、シャベルを使って石炭を運ぶ。
そして、メキシコオリンピックで4個の金メダルを獲得。
しかし、ソビエトに侵略されたプラハには、彼女に居場所は無かった。
ガラクタのように扱われ、当時の大統領でさえも「二千語宣言」の撤回を求めた。
彼女は撤回することは無かった。撤回しないのは悪であると攻撃された。
当然、仕事もない。
頭にスカーフを巻いて掃除婦もする。
夫との離婚。息子の殺人容疑。繰り返す不幸の波。
自殺さえも考えていた。
1989年、「ビロード革命」が起こり民主化運動が高まり、共産党政権が退陣した。
ベラは共産政権に立ち向かったアスリートとして、大統領から、スピーチを求められる。
信念を曲げなかった、ベラ。
不屈の精神を持つベラ。
オリンピックの後、結婚をし、子どもに恵まれ、幸せな人生を送っていると思っていました。
あの時の栄光から奈落の底に落とされた
人生を送っていたのですね。
なんという落差の人生。それでもあなたは頑張って、生きた。
取材でコネンテイターに
ベラは「私は信念を曲げなかったので、皺が増えてしまったわ。
もしも私が頑固でなければ、もっと、綺麗だったかもしれません」
「いいえ、とっても良い皺ですよ。聖なる、神にキスしたい気持ちです」
栄光と失意を繰り返したベラ・チャスラフスカ。
あなたの皺は本当に美しい。
元旦から素晴らしい、ドキュメンタリー映画を見ました。