その女性に初めて会ったのは、午前6時2分、京王相模原線多摩境駅発の電車内だった。
乗客がまだ、半袖シャツを着ていた9月。東京農大一高の教諭長田道弘さん(60)は、座席で本
を読んでいた。
乗り換えの一つ前の駅。乗ってきた20代位の女性が前に立った。
バックにぶら下げたマークが目に入る。
「おなかに赤ちゃんがいます」。席を譲ると、女性は申し訳なさそうに座った。
「どうぞ」「すみません」。それが、毎日続いた。
交わす言葉はそれだけだ。大きくなっていくおなかを見て
「座らせてあげないと」と使命感が芽生えた。
確実に席をとれるよう、少し早起きして電車が到着する5分前には、ホームで待った。
乗客がコートを羽織るようになった今月1日。普段通り席を立つ、長田さんに
「今週で産休に入ります。これまで、有難うございました。」
手作りの焼き菓子をプレゼントされた。
最後まで名前も、どこの駅で降りるかも知らなかった。
語り掛けもしなかった。
ただ、これだけは言っておけば良かったと悔やむ。
「出産、頑張って」
2014年12月22日(月)