襤褸の行方について|杉浦和子の世界、衣・食・住・人の旅

古布の服や酒袋・襤褸、材料やパッチワークの販売

アトリエ和 襤褸 神奈川 横浜市 大和市

プロフィール

私は、古布を全国から足で歩いて収集し、服をデザインし、作品を作っている杉浦和子と申します。北は北海道から南は沖縄まで作品展を開催しております。おかげで全国の美味しい食べもの、市場、人、自然の風景、地方の街など、多くの感動、感激そして人の出会いがあります。その情報を皆様にブログを通じてお知らせしたいと思っています。日本だけでなく世界の情報も。杉浦和子の日本、世界の衣、食、住、人の旅にご期待下さい。楽しい発見がきっと見つかりますよ。

最近の記事 月別アーカイブ

 香月節子氏(東京農業大学応用生物科学部)の話を何年か前に聞いた。「今から25年ほど前、広島を民俗資料室の目的で訪ねた。ぼろやには多くの木綿が回収されてあった。そこで目についたものは、山と積まれた古手の藍染の絣や縞、型染め、筒描の布団、半纏、幟、着物などであった。これらの藍ぼろはいずれもウエス(四角に裁断されて機械を拭くときの布)のための襤褸であった。これらの木綿布も皆四角に裁断されて機械を拭くメンテナンス用のウエスになるのだという。古手の木綿はぼろやにとっては一番商品価値の高いものだった。この工場用のウエスは明治期の近代化における工場、鉄道の設置、軍艦、大砲などの増設に伴ってウエスは多数必要であった。日清、日露戦争が拍車をかけ第1次戦争後はぼろの需要は増加していった」

このようにして、先人たちの織つたり、染めた、貴重なる木綿が消えていったのだ。一体、当時の誰が、今日の古布ブームが来ることを予測できたであろうか。まことに悲しい話である。

マリア書房 襤褸に生きる より

2012年9月12日(水)
ホームページ
ショッピング

KAZUKO COLLECTION

スケジュール

バッグ、帽子、小物

鯉幟ファッション

襤褸資料館
お問い合わせ