父が30年前に亡くなった時、母に宛てた手紙。
母は大事に取っていたみたい。
私の父と母へ 杉浦和子
壁に一枚の色あせた色紙が飾ってある。
「一大事とは今日只今のことなり」
父が元気な頃書いた自筆のことばである。
昨晩救急車で父は病院に運ばれた。
5年前脳出血でたおれ、入院生活をくりかえした。
たった2週間前にやっと退院したばかりの矢先のことであった。
幼い頃から子ども心に見ても非常に仲の良い100点満点の両親であったと思う。
いつも二人で映画を観に行き、ダンスをし、
時のケンカもするが気の合った笑いの絶えないメチャメチャ明るい楽しい家庭であった。
その父が、今酸素マスクをつけ極限の状態にある。
母にすればどんなに苦しく悲しく、辛いここと察する。
とても筆舌に尽くせるものではない。
しかし、そんな母は決して取り乱すことなく今が一番良しと思い
「暮から正月にかけて2週間も家にいることが出来た。ちょうど松の内が取れたところで
これから1月2月と寒い時に病院に戻れて良かった」と全て良い方良い方へと物事を考え
感謝の気持ちを持ち、何事も決してめげることの無い母の言葉である。
私は一つの判断をする時、私の父だったら如何するだろうか。母だったらと思い
いつも行動してきた。
それは私にとって神に近い存在であったと思う。
今、母の献身的な姿を見ていると1日1日を大切に生きる事、
今、全力を尽くす事。
正にその姿は父の「一大事とは今日只今のことなり」そのものである、私の魂を打ち、心にしみる。
私の二人の息子達にこの父の真の言葉の意味をおしえながら
生命をたいせつに、強く生きていきたいとおもいます。
こんな、愛情に溢れた両親に育てられた事を誇りに思います。
ありがとう。
感謝。
母が何時もひな祭りには必ず作っていたちらし寿司。
もっと、ちゃんと習っておけば良かったなあ。
でも、何とか出来ました。
今日も届けました。
昨日10月14日午後3時5分。
母は、父の元へと旅立った。
大正14年生まれ。寅年。享年91歳。
今年の7月まで、お茶を教えていた。
意思が強く、毅然とした、弱音をはかない、気丈な女性。
前向きで、決して物事を悪く取らない。
よく笑う。人に感謝をして、いつも「ありがとう」という。
人を恨むことは一番いけないこと。と何時も言っていた。
何をするにも私の指針でした。
1週間、酸素マスクの母。
痛い痛いと苦しんでいた。
泊まり込んで寝ずの看病した。
その中でも母と娘で色々な話もした。
苦しみ痛みが消えた後、
すーと逝ってしまった。
親の死。
誰もが通る道。
母から伝授した、おこわを桶いっぱい作り、
枕元にお供えした。
暫く苦しい日が続くと思いますが、
頑張ります。
寂しい秋になりそうです。
銀座で映画を見た後、大崎で開催されている
北村勝史氏のコレクション「江戸の文字幟展」に行く。
何年か前に松涛美術館で、展示された文字幟ですが
又、今回もお目にかかれました。
物凄いオーラを発しています。
長い時を経ても、文字の力。
神への祈りが宿っているのでしょう。
北村勝史先生78歳。
お元気でした。
銀座のシネスイッチに「ボブという名の猫」を観に行く。
薬中毒のミュージシャンとボブという茶トラの心温まる実話。
イギリス映画。
動物って、人間の心が読み取る事が出来て、すごいんだ。
昨晩の雨で森の中は、しっとりした空気。
美味しい‼️
術後3ヶ月。手術した事が忘れるくらい、回復しました。
階段の上り下り、たったったです。