相模原。
菜の花畑にて、年子の兄と。
私4歳。真っ黒けな顔していて、昔の子供って良いなあ。
母のお手製の服を着ている。
(私の父は写真が好きで、現像も全て自分でやっていた。戦後、厚木キャンプの進駐軍で通訳をしていた関係で、PXから、簡単にフイルムも手にはいることが出来た。なので、この当時の写真があるのです)
この幕、デカイ。
縦100センチ。
長さ11メートル。
明治30年。
本立ち葵の紋。
イチカバチカ。黒の色が、無くなるか。
大型洗濯機で洗いました。
色が少し落ちただけで、合格!
大きな紋が2個あります。
想像力を掻き立てられます。
幅1メートル。長さ8メートル。
明治の神社奉納旗。
自宅ではとっても洗えません。
コインランドリーの大型洗濯機に入れて洗濯。
洗濯機の覗き窓から、見ていたら、真っ黒な水が、グルグル回っていました。
130年の汚れですものね。
この文字古文書を習っている方々に解読して貰いましたが。
えっえっえ!
苦し紛れに何とか読めましたが、意味が、、、、、、
分かる方教えてください。
1週間に1度、家から15キロ離れた厚木JAゆめみ市へ、産直野菜を買いに行来ます。
車で30分。
JAの野菜は農家の方の顔が見えて、野菜が生き生きしています。
料理をするイメージが湧いてきます。
紫蘇ジュース人気の為、今回で3度目です。
この1枚のセピア色の写真。母(23)に抱かれているのが4か月の私。
67年前の東京近郊相模原町。現在では人口70万の政令都市相模原市。
4月中頃というのに綿入れの着物を着ているのが祖父。
母の妹(20)、弟(18、)父(30)に抱かれているのが私の兄(1)。
母のボロボロの前掛け。乞食集団かと見まちがえるほどの戦後4年の日本。
8歳まで私はここで生まれ育ちました。
桑畑、茶畑に囲まれ、大きな欅の木々、茅葺屋根、黒ずんだ大黒柱、床。
土間の台所
五右衛門風呂。
豚小屋、にわとり小屋。
リヤカーに乗せられて田んぼのあぜ道で遊んだ日々。
私が時々夢を見るのはこの風景ばかりです。
ひょっとして、おそらく私が、日本の古い家具、農機具、古布にたまらない郷愁を覚えるのも
この幼い日の記憶にあるのかもしれません。
今、いくら気取ってみたって、日本の戦後はみんなこうだったのだからね。
日本の良き時代。
暮しの手帖編集長花森安治さんが
創刊号で考えたものだったのですね。
セリフに1枚の着物からワンピース3枚取れる。
又は、ワンピース1着、ブラウス4着。全部で5枚出来る。
実際には、1枚の着物からはワンピース1枚だけ。または、ブラウス2枚しか取れません。
並み幅は35センチ。長さ11メートル。
解いても、全部使える訳ではありません。
90センチ幅、長さ11メートルならば、セリフの枚数ができますが、、、、、
セリフに大きな間違いがあります。