酒袋とは日本酒を作るとき醪を絞る袋。
柿渋を何度もかけて、強度を増します。
黒ずんでいる茶が時代を醸し出しています。
修理した針目が、アート。
用の美。
近所にある、原ミシンさん。046-274-5970
随分長いこと、お世話になっている。
ここのご主人は本当に、ミシンの職人さん。
26年前にジュウキの職業用ミシンを購入した。
メンテナンス、修理、どれほど、酷使したミシンをお店に持ち込んだか。
いつも、ピカピカにして、修理してくれる。
26年も使っているのだから、もう新しいのを、買ったらと普通は言うでしょうが
そんな事1度も言ったことは無い。
でも、今回ばかりは、もう、本社で部品の製造がされていないということだった。
ご臨終。
本当にお世話になりました。
新しい、ミシンを購入する。
ジュウキとドイツで開発された、直線縫いだけのミシン。
今、流行りの高価なコンピュータミシンではない。
必要なものしかない。シンプル。故障も少ない。
スポットライトもLEDになって明るい。
嬉しいのは、針に糸通しが付いていて、パチンと一発で糸が通ることだ。
これからは、針の糸通しが難儀になる年齢になる。
さあ、これからも、頑張って、ミシンを踏みますよ!
あと何年、踏むかな?
ギネスに挑戦するかな?
今日、午後5時から、渋谷ハチ公前で
後藤健二さんの追悼集会が行われた。
報道陣、外国の方も沢山集まっていた。
プラカードと、灯りを持った、静かな、集会であった。
ずーと、涙を流している、若者。
それぞれ、静かに、後藤健二さんの冥福を祈った。
明日は天気が崩れそうなので、
洗濯三昧。
幟収集家の第一人者で北村勝史氏によると明治39年以降の幟旗は「生命の安泰を願う祈り」から「金儲けの祈り」
に祈る対象を変えてしまい、したがって絵柄も定型化し、金のご利益があるように華美な化学染料による色彩、省力化のための
型染の世界に急速に変化していった。この時期の旗には、生命の安泰の祈りは無いので、使用されなくなった幟旗はリフォームの材
料に供されて、新しい服として再生されても良いと思う。
と北村氏は語っている。
更に北村氏は過酷な生活環境の下、日々生命の安泰の祈りを願った、明治39年以前の江戸民衆の「祈り」拠り所であった幟を、切り
刻み、衣服に再生するべきではないと述べている。
鯉幟は江戸中期位から、幟旗の脇役とし登場し、やがて独立したものです。明治末位までは、基本的には紙製で、黒幟
だけでしたが大正以降から木綿製のものが多く普及されました。
今日は、みぞれまじりの雨から雪に変わるという。
でも、夏の麻の服を作ります。
違い鷹の羽は、裃、袴から。
浅黄は、麻布団より。
白は男もの長着より。何が出来るか、お楽しみに。
しかし、寒くて、暗い日。
関西で節分には、西南に向かって、願いを込めて、かぶりつくという、恵方巻きの慣習がある。
ここ数年前から関東でも流行り出した。
スーパーなどでは、列をなしてい買い求めていた。
材料を買って、作ってみた。
家庭で作る恵方巻きは美味しいね。
西南に向かい、戦争の無い世界の平和、家族の健康を、食べながら、祈った。
神奈川県大和市西鶴間4-1-19
046-207-4518
年中無休
ランチ11時半~3時
デイナー5時半~9時
ランチ、デイナーシチリアセット750円