今年も本当に、充実した、楽しい1年でした。家族の皆が元気でいてくれたことは当たり前の事かもしれませんが、本当に、幸せなことです。孫娘みちるの成長は、日々が楽しく、笑いに満ち溢れています。子供は神様の贈り物。あっという間に成長してしまいます。良寛さんのように一緒に遊んで、楽しみたいものです。今年は、2度もイタリアに行けたこと。2月は、友達3人でフレンツエにホームシテイー10日間。それから船に乗り12時間かけてシチリア島まで。10日間の滞在。個人旅行は、はらはら、ドキドキですが一生心に、残る旅となります。9月は、息子フアミリーとシチリア島へ。みちる1歳0か月。よく連れていったものです。来年も良い年でありますように。
東京町田の近くで 生まれ、同じ名前の和子ちゃんを失った喪失感は大きい。今日、野辺の送りだった。長い癌との闘いであったでしょうに、和子ちゃんは美しい顔をしていた。5年前に乳癌を患い、最後は脳に転移して、今年の夏からは家の中で車いすの生活だったそうだ。4歳のころから、二人で よく遊んだ。当時は、町田の近郊は、ほとんどが茅葺の家であった。和子ちゃんはの家とは道1本くらい離れたところにあってお互い行き来きするのに最短コース(よその家の庭を通り、玄関から、土間、勝手口を出て、行く)、今では考えられないことだが、戦後はあたり前のこと。子供は近道を知っている。母親同士も戦後の大変な時代を乗り越えてきた人たちで、仲良しであった。よその子も自分の子も同じようにかわいがった。枕を持って、お泊りは常であった。行幸道路に養豚の豚が逃げると大人たちが、追いかけ、2人で、その姿を見ていたり、そんな、幼い時の光景は忘れられなもの。たまに会うと、そんな、話で、笑いあった。いつか、、もっとおばあさんになったら、家族がもういいよと言って聞いてくれなくなっても、2人で、同じ話ばかりしようねと約束したね。まだおばあちゃんにもならないうちに、もう一人の和子ちゃんは逝ってしまった。94歳になられるお母さんは、もうすぐ天国で、会えるからと参列しなかった。いくつになっても逆縁は辛い。今日は晴れているが、寒さが、身に染みた。遠くの大山が、きれいに見えた。
昨日、久しぶりにチキンカレーを作りました、鳥肉、メークイン、玉葱、人参、セロリ、キャベツ、生姜、洋梨(大人の甘味)、ルー3種類。
グリーンサラダ(ブロッコリー、スナックエンドウ、クレソン、寿雀卵ゆで卵)。
セロリの葉の佃煮(自家製)、ピリ辛らっきょう。
器は奈良県の吉岡萬里さん作、鉄彩楕円皿、色絵鉢、その他。
今年も元気に過ごした年末のみよちゃんランチでした。
4歳のころからずーと一緒に遊んでいた竹馬の友がいた。名前は同じ名前の和子。幼稚園も一緒。小学校もずーっと一緒。おままごと、木登りをしたり、毎週土曜日になると、どちらかの家に枕を持ってお泊り。ピアノを習いに行くのも一緒。和子ちゃんは、成績も抜群で、正義感も強く、人望も厚かった。弱いものいじめをしている子がいたら、すごい剣幕で怒りつけ、クラスのボス的存在でもあった。県立高校も神奈川県一の学校に進学し、横浜国大を出て、音楽の教師になった。いつも私の憧れの女性であった。 今日、私の携帯に和子ちゃんの名で鳴った。ここのところ、何年かご無沙汰していた。久しぶりだ。「娘の春子です。今日、母が亡くなりました」。 しばらく、何のことか分からなかった。「乳癌を患い、再発して全身にまわり、脳にきて、今日11時に亡くなりました」。まだまだ平均寿命から行けば25年以上は、生きられるというのに、、、、、、4歳からの一緒に遊んだ日々のことが、走馬灯のように甦る。いつも私の憧れだった素晴らしき友。あまりにも早い死。人生とは酷なもの。今、自分が元気で生きているいることが不思議に思われる。明日のことは誰にも分からない。会者定離。別れは辛い。尊敬する父、2歳にもならない長男、師、鬼籍に行ってしまった。生きている限りこれからもそうだろう。いつか分からないが、自分にもその日が必ず来る。だからこそ、悔いのないように与えられた人生を使命を持って、一生懸命にしっかりと生きて行くことだと思う。和子ちゃんのご冥福を祈ります。