2012 9月|杉浦和子の世界、衣・食・住・人の旅

古布の服や酒袋・襤褸、材料やパッチワークの販売

アトリエ和 襤褸 神奈川 横浜市 大和市

プロフィール

私は、古布を全国から足で歩いて収集し、服をデザインし、作品を作っている杉浦和子と申します。北は北海道から南は沖縄まで作品展を開催しております。おかげで全国の美味しい食べもの、市場、人、自然の風景、地方の街など、多くの感動、感激そして人の出会いがあります。その情報を皆様にブログを通じてお知らせしたいと思っています。日本だけでなく世界の情報も。杉浦和子の日本、世界の衣、食、住、人の旅にご期待下さい。楽しい発見がきっと見つかりますよ。

最近の記事 月別アーカイブ

2012年9月4日(火)

この刺し子は、まるで蟻のように細かく刺してある。しかも、気の遠くなるような縦刺しの刺し子である。縦刺しとは、反物10数メートルを縦に刺していく技法で、最も根気を要する。東北の地方によっては、婚礼の時に最低でも長着7枚用意する所もある。そして、その刺し方を披露し、雑な刺し方をしているものを持参すれば、その家はいい加減な家と評されたりもした。婚礼の財産的なものとされた。

2012年9月4日(火)

このコートは、刺し子の野良着2枚を合わせて、やっと1枚のコートに仕上げた。リバーシブル仕立て。

刺し子について  木綿が 貴重だった時代には、衣服を長持ちさせる方法が考え出された。特に棉花の育たない寒冷地東北地方では寒さに耐える衣服を用意しなければならなかった。木綿地を2~3枚重ねて木綿糸で刺していく方法を刺し子という。雪の季節が長く、家の中に閉じ込められ長い時間を囲炉裏を囲みながら手仕事としながら過ごした。野良で働くことができなくても、家の中でしなければならない仕事はたくさんあった。このような細かい刺し子が完成するまでに気の遠くなる作業を先人の女性たちは家族のためにやっていた。東北人の粘り強い気質が生んだものでしょう。

マリア書房 襤褸に生きる より

2012年9月4日(火)
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カラカラだった森も昨晩からの雨に洗われて、爽やかな風が、木々を吹き抜けます。恵みの雨。

2012年9月4日(火)

この、コートは、モデルで着ている金井美代子さんのお気に入りの自前のものです。何年か前、国立の個展で、ひとめぼれで、買って下さいました。こんなに大柄な模様なのに、何度着ても飽きず、着て歩くと、いろいろな方に「素敵なコート」ですねと、声をかけられるという。着れば着るほど、なじんできて愛着を感じるという。

2012年9月3日(月)

この市松の絣はもともとは幕でした。九州の競りで落としました。由緒ある家から出たものです。とっても昔の布とは思えないほど、モダンな絣です。NHKの美の壺「絣」で故谷啓さんが着て紹介されました。パリコレに出しても、世界に誇れる日本の市松模様の絣コートです。

2012年9月3日(月)

初誕生日の時に日本では1升餅を背中に背負わせる風習がある。子供に一生涯食べることに困らないようにと願いを込めた親心である。親が子を愛することは今昔も変わらないことであるのに、最近の子供虐待、育児放棄きなど、目を覆うような事件ばかりである。悲しいことである。

子供が、すくすくと健康で育つこと。これは本当に幸せのことである。家族のみんなが健康で暮らせること。なんでもない当たり前のことかもしれない。でも、この当たり前のことが、当たり前でなくなったときに人はどれほど、悲しみ、苦しむことであろうか。初孫のみちるは大きな病気もせず、すくすくの1歳の誕生日を迎えることができた。本当に幸せなことである。私は今から36年前に、生まれた長男は、天使のような可愛い子であったが、何百万人に一人という、血液の難病を持って生まれた。人並みの子供のように外で遊ぶこともできず、小児病棟の病室で、毎日、毎日苦しい闘病生活の末、1歳10か月という可愛い盛りの中、短い生涯を終えた。気が狂いそうだった。死ぬことばかり考えていた。病名を医師から告げられた時、「おたくのお子さんは幼稚園には行かれません」。何のことか分からなかった。後で考えてみたら、3歳までも生きられなかったという意味だった。こうしてすくすくと育っている初孫みちるを見ると、本当に幸せな気持ちで、いっつぱいになる。大きな声で笑い、病気一つしないみちるに神に感謝するのみである。お誕生日おめでとう!

2012年9月3日(月)
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フィンランドの鉄琴です。透明な音がします。みちるの一生の宝物の一つになりますように。

一生、食べ物に困らないように、願いを込めて、一升餅をしょいました。

2012年9月3日(月)

対馬麻について

対馬とは九州と、朝鮮半島の間にある島である。対馬の織り方は朝鮮の影響を非常に受けている。対馬麻についての文献、資料はほとんどない。たまたま読んだ民俗学者宮本常一氏の「女の民俗史」からやっと対馬麻のことを見つけることができた。それによると、素材は麻と棉で織られている。対馬では家の周りに麻坪といって麻ばかり作る畑があった。当時は、村の中に店を置くことは禁じられていた。城下町の厳原までいかなければ藍を染める紺屋が無かった。貧しい村人たちは町まで行く時間や経済的な余裕も無く、自分たちで藍に似たような植物染料(山藍の葉など)を探し染めた。昭和35年以降は、対馬麻を織る人も着る人もいなくなった。大変貴重な布から1枚のコートを作りました。

マリア書房 襤褸に生きる より

2012年9月2日(日)

襤褸布団皮   山形県庄内地方  明治時代

兎に角、アートである。まるで抽象画を見るようである。手に入たのは15年前。山形県の骨董屋さんにて。裏を開いたときに驚いた。200枚以上のつぎはぎがしてあった。これが本当のパッチワークであろう。木綿は寒い庄内地方では育たなかった。北前船(18~19世紀)、大坂から、下関を経由して北海道江差に至る西回り航路に就航した船により古手の木綿着物が荷のパッキン替わりとして使われた。庄内の女性たちはその荷が来るのが何よりも楽しみであった。荷が着くと、その古手の木綿を皆で大切にし平等で分け合った。限りある材料で家族のために作られた、布団である。ここに先人女性たちの知恵と経験が染み込まれている。人に見てもらうことを意識したわけでは無いのに、美しい。

マリア書房 襤褸に生きる より

2012年9月1日(土)
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