このコートは、明治時代布の糸味がよく、地厚の半纏から作りました。完全リバーシブルで、裏に使うのが惜しいほどの古布とは思えないほどの、イギリスの格子のような手機の木綿である。2度と出ない逸品のコート。
ぼろ織りともいわれる裂き織りのコート。まるでクレーの抽象画の絵画のような色つかいである。カルチャースクールや美大を出たわけでもないのに、先人の女性が織った布は美しい。
香月節子氏(東京農業大学応用生物科学部)の話を何年か前に聞いた。「今から25年ほど前、広島を民俗資料室の目的で訪ねた。ぼろやには多くの木綿が回収されてあった。そこで目についたものは、山と積まれた古手の藍染の絣や縞、型染め、筒描の布団、半纏、幟、着物などであった。これらの藍ぼろはいずれもウエス(四角に裁断されて機械を拭くときの布)のための襤褸であった。これらの木綿布も皆四角に裁断されて機械を拭くメンテナンス用のウエスになるのだという。古手の木綿はぼろやにとっては一番商品価値の高いものだった。この工場用のウエスは明治期の近代化における工場、鉄道の設置、軍艦、大砲などの増設に伴ってウエスは多数必要であった。日清、日露戦争が拍車をかけ第1次戦争後はぼろの需要は増加していった」
このようにして、先人たちの織つたり、染めた、貴重なる木綿が消えていったのだ。一体、当時の誰が、今日の古布ブームが来ることを予測できたであろうか。まことに悲しい話である。
マリア書房 襤褸に生きる より
明治時代の岩丸稲荷神社の奉納旗からジャケットを作りました。裏はイタリアフレンツエの別珍を使いましたので、非常に暖かです。乳をつけたままデザインしてみました。乳(ちと読む)とは、旗からでぱっているのが女性の乳のようだというところから呼ばれるようになった。乳の輪に麻縄を通して、竹竿や丸太にあげた。 祝節句旗の乳は、地方によっては、幟が出来上がると、親戚中の女性が集まり、その子の無事成長を願いを祈りながら、乳をつけたといわれる。とても意味のある乳なので、私には簡単には、外せないのです。
絣について
絣のルーツは、インドから15世紀後半に琉球を経て、全国に広がった。昔の庶民が色や素材の束縛を受けながらも多年の試行錯誤と知恵により美を可能な限り追求したものであり、織物の中では一番高度な技術が必要とされる。よく、現代の人に誤解されている絣で、モンペや野良着として使われたとの誤った印象がある。絣は最初から野良着として織られたものではない。カスリはその家に伝わる財産的な外出着であり、田植えの時には、娘をお披露目する早乙女たちの晴れ着でもあった。嫁入り支度に一生涯着用するものとして持参した。何代も着て古くなった後に布団、野良着、裂織り、雑巾、おむつなどに仕立て直されていったものである。絣を着ると日本の暗い家屋や緑の田んぼの中で一層美しく見えるので、みんなで「遠く美人」と言って誉めあった。日本人の女性を美しく見せる絣である。
マリア書房 襤褸に生きる より