From: 比留川 洋平
こちらこそありがとうございました
こうして、すぐにメールをしてくださる杉浦さんとの出会いに感謝をしたいと思います。
出会いは、お孫さんがプールに入っている場面から始まり、アトリエに招き入れていただいて美味しいジュースまでご馳走様でした。 本の中の写真や文章ではなく対面しての人柄により一層惹かれました。
僕は決して若くはありませんが(笑)、去年の震災以降の大きな思考の変化として、必要のあるものは受け継ぎ、不要な核はなくす世界を築いていかなくてはならないですね。
子供と古布に希望を込めて 洋平
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比留川洋平様
今日は暑い中をありがとうございました
洋平君のような、若い方が日本の古い布に興味を持って下さることは、とっても、嬉しいことです。
本物が分かる若い人が次代を伝えていくのだと思います。
何でも、物も、人も使い捨ての時代。考え直さなければなりませんね。
今日は本当にありがとう。国立の個展にもお出かけ下さい。
又、どうぞ、中央林間にも、遊びにちょくちょくいらして下さい。
アトリエ和 杉浦 和子
この鯉のぼりは手すきの和紙で出来ている。時代は明治。出所不祥。
丈夫にするために膠を塗ってある。
何とも、このとぼけた龍の顔が憎めない。
鯉のぼりの由来は中国の逸話より。
龍門のある鯉は滝を昇り、昇りきれば龍になるという登竜門の話からきている。
この登竜門は、男子の出世のシンボルとされた。
江戸時代はほとんどが紙製であって、真鯉一匹だけでした。
近代以降、木綿の沢山の鯉のぼりが発展しました。
この和紙鯉のぼりは、東京のオークションで、幟収集家の北村勝史さんと競り合いになり、サッと紳士であられる北村さんは降りて下さり、手に入れた物である。
北村さんは私の個展に見えられたときに、正面に飾られたこの鯉のぼりを見て、やはり素晴らしい。私のコレクションに加えたい一点でした。良いものですとおっしゃってくれました。
私の守り神のような龍である。
杉浦 和子 秋・冬の古布作品展
5年ぶりの金沢での個展です。北陸の方、金沢へ観光の方ぜひお出かけください。
早めのお知らせです。
2012年10月10日(水)~10月14日(日) 11時~18時
古民芸 みや 090-9443-6359
金沢市 尾張町1-3-2
NHK
金沢放送局並びです
この裂き織りは、縦糸が麻、横糸が藍の木綿を5ミリくらいに裂いて織った野良着。藍の裂き織りは宇宙から見ると地球は、このようなブルーに見えるとか。まさしく、宇宙の色、母なる色なのです。
このミシンは50年以上使った職人さんから譲ってもらいました。
驚くほど、手入れが良く、音も軽やかです。
分厚い酒袋の服や厚い刺し子の服を縫う時に使います。
どんな厚みもなんのその。
こうした、優れた機械があるから、普通では、縫えない素材が作品にする事ができるのです。
このアイロンは、最近、友人から頂いた物。
職人さんが使っていたという。
サーモスタットなんか付いていない。
スチームも無し。
重い。
ところが使ってみたら、スーと滑るように、力も入れずに、プレスが出来るのだ。
しわもスッと無くなる。
今まで使っていたアイロンはしまってしまった。
職人さんの使っていた優れものの道具。
この夜着は私が収集した、トップクラスの襤褸(ぼろ)である。収集したのは15年前。山形庄内地方。骨董屋さんで納屋の隅に丸めて、捨てられていたような状態。今のような古布ブーム、襤褸ブームが起こる前の時代。襤褸(らんる)の意味を説明します。この言葉はもともとは日本語ではなく、400年前に宣教師が持ってきた外来語です。カッパ、カステラなど。ポルトガル語なのです。ぼろを着ていた日本人を見たポルトガル人は「ランル!ランル!」と叫んだ。ランルとはポルトガル語で「レース編み」を意味する言葉らしい。遠藤周作の「沈黙」という小説にこの襤褸ということばが、多く書かれている。襤褸は熟語であるが1つ、1つ独立した漢字は無い。はるか昔、日本の反対側から来た外来語「ランル」、なぜか「ぼろ」というよりも、ロマンを感じませんか・?